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2007年10月21日

Bourgogne Passetoutgrain a minima 2005 Domaine Trapet

7v1021.jpg日本人は「限定」とか云う言葉に弱い民族であります。限定20ケースともなれば日本全国でたったの240本、これは買っておかねばならないという気持ちになるのは致し方ないことでしょう。
しかも輸入元のコメントによれば「テイスティングコメント(9月22日(土)試飲):
青みがかったみずみずしい赤色。2005年というビッグ・ヴィンテージらしさを感じる味わい。アルコール分から感じるタフな強さと、パストゥー・グラン特有の適度な酸、そして完熟感あふれた味わいが、ほどよくマッチしながらオールマイティなワインとなっています。時間とともに、ワインに溶け込んだチェリー等の果実味も姿を現し始めます」とのこと。購買意欲をかき立てられます。
さらに輸入元が引用した「ジャン・ルイ・トラペは、父親からこのドメーヌの責任ある地位を引き継ぎ、工程に重要な変更を加えた。低い収量、高品質で人の手を介入させないワインづくり、清澄処理や濾過処理の廃止のおかげで、このブドウ園はついに、一群の並外れたプトウ畑から最上級のワインを生み出すようになった。悲惨な過去はほとんど忘れ去られ、ジャン・ルイ・トラペは、ジュヴレで最高の生産者となる道を順調に歩んでいる」といった表現を読むとついつい信用してしまいます。

さてこの甘い言葉に乗ってしまった結果は次に述べることにしましょう。

実はこのドメーヌ、確か国道(R.N.74)沿いにあり昔訪問した覚えがあります。さらに脳裏を過ぎったのがあの悪夢の地下レストランの想い出が・・・・。リンクしている昔のHPのワイン日記から1989年11月のワイン日記 「トロ・ボーを後にしてムルソーの有名な Comtes Lafon へ。ジャック・プリュールのそばのドデカイ貴族屋敷である。先ずは玄関先でいろいろ質問を受ける。こちらの知識を探っているみたいでイヤな感じ。この人物こそブルーノ・ラフォンという30歳位の若者だ。取り敢えず第1関門を突破し中に入るが、階段をほんの数段下るだけでセラーに。樽は決して新樽100%ではない。 Clos de la Barre から次々と飲んでいくが特に Charmes が不味い。砂糖水みたいで手がネバネバとする有様。第一級の上物ジュヌヴリエール、ペリエールと続くがそんなに凄いとは思わない。が最後にMontrachet を飲ませてくれた。1988年物は日本にも売るとのことだ。
 この日は特に寒く女性軍は運良くダウンしてしまい晩飯に行かずに済んだのである。・・?・・男性軍4人は意気揚々と ラ・ロティスリー・デュ・シャンベルタン へと霧の中鼻歌を口ずさんで車を飛ばす。と店の前まで辿り着いたが入口が分からない。奥の方で何やら歌声のような気配があるが人形が置いてあるだけ。この人形達はワイン造りに関わっているものだというのは分かるのだが、恐る恐る先へ進むが通路は地下へ降りていくようだ。更に深く地下に潜るとやっとレストランの入口に。ガラスドアを開けると左手に大きな水槽がありラングーストやオマールが泳いでいるではないか! さらにお客でほぼ満席なのだ! 『イイとこ見つけた!!』とニンマリ。先にメニューを決め私はフォアグラのサラダと鹿を注文。ブルゴーニュに来てシャンパーニュを注文するのも少し気が引けるので、素っ気ないワインリストから Corton-Charlemagne1983 を発注する。ここのリストにはワインの名称とヴィンテージ、そして価格だけの表記で生産者については一切触れていない。しかしご立派にも赤ワインの殆どがシャベル・マジ・シャルムとジュヴシャンの特級銘柄の勢揃いなのだ。
 で、まさかラペ・ペール・エ・フィスのものとは想像もしなかったのである。一口含んだだけでT氏の顔が引きつってしまった。余りに酷いのでシャンパーニュを注文するがこれまた良くない。
 極めつけは1961年の Chambertin 。エチケットの類は何もついていない、ただチョークで名称とヴィンテージだけが手書きされている。こんな事がまかり通って良いのだろうか?Morin の古酒の如く、どれをとっても似た味だったに違いない。腰砕けで甘いだけのブルゴーニュ、香りの特徴も何もない。後で分かったことだがここの赤ワインは全てルイ・トラペの物で白は全てラペの物だった。
 唯一の救いはソムリエールが別嬪であったことぐらいか? 鹿肉はフザンタージュしすぎというかほぼ完璧に腐って異臭を放っているが、『こんなもんだ』と相手にしない。勿論付け合わせだけ食べて残してしまったのは云うまでもない。
 この地下レストランには小蝿が多い。その一匹がコルトン・シャルルマーニュに飛び込んだ。飲まないからいいものの非常に不愉快である。厨房も恐らく不潔ではなかろうか? 
 他のテーブルはというと殆ど英語圏の人たちで騒がしい。日本人も1人混じっている。
 こんな所で日本人が3人も働いていると聞くが何を学ぶつもりなのだろうか?『朱に交われば・・・』と云うが末恐ろしい話である。
張り切って出かけた訳だが、4人は足取り重く階段を上がり、車に乗り込みスゴスゴとホテルへ。戻ってきたのはホテル・ル・セップというボーヌのど真ん中に位置する老舗?だ。部屋にはブルゴーニュの産地の名前が付けられていて私の部屋は Vergelesses 。当然並の部屋だ。スイートにはグラン・クリュの名前が付いている、例えば Musignyとか...。あーっ疲れた!」これが小生の18年前の思い出したくないレストラン回顧録であります。

悲惨な過去」は忘れるわけには参りません。私の感想は昔よりは少しまともになったか? という程度のものであります。

posted by:Georges :